澤佳宏 ~最後の03戦士、夢のつづきの第二幕~

 2007年3月10日。
澤佳宏は、自身の卒業記念試合として、シーズン最終戦を迎えた。

この試合に参加したのは11人。

すでに藤井を除く他の03生はチームを離れ、また春休みの影響もあって決して大人数とはいかないなかでの最終戦となった。



2003年に大川や池下らとともにチーム入り。
しかし、入団当初は同郷の家里(途中退団)と行動をともにすることが多く、徐々にチームの主力となっていった大川・岡本らとはちがう立場におかれがちだった。
1~2回生時は控えとしてベンチを温めることがほとんど。
試合によばれないことすらあった。

今となっては考えられない状況だが、澤の4年間を振り返るうえで、この不遇の時代は避けて通ることはできない。


 転機が訪れたのは2005年春。
01生が卒業し、今井がポスト真弓としてエースにのしあがったのと時を同じくして、ポスト稲葉として不動のサード・澤が誕生した。

華麗な守備で見るものを魅了した稲葉の後釜。
誰もが稲葉に代わる選手はいないと思っていたところに、澤の存在がクローズアップされた。
そして、その才能・野球センスは見事に開花。

大川との鉄壁の三遊間は、テラ野球の見所のひとつとなった。

大川不在の時にはショートもつとめ、内野はどこでもこなすユーティリティ-ぶりをいかんなく発揮。
そして、今季は念願だったセカンドコンバートも果たした。f0008530_23574551.jpg



帰省、就職活動、バイト...本来なら野球をするうえでは障害となるはずのさまざまな事情も、澤にとっては大きな壁ではなかった。

不遇だった2年間を経てつかんだポジション。

そこまでの過程は、澤にしか通ることのできなかった道だったのかもしれない。



少人数の練習でも声をはりあげ、捕手のいない時期には、自らマスクをかぶることもあった。

そして、他の03生がいないなかでの最終戦。

しかしそれこそが、最後の最後まで野球にこだわりつづけた澤の4年間を締めくくるには、むしろふさわしい状況だったともいえる。



 3月16日。
卒業式を翌日にひかえ、澤は打ち上げの席で自らの野球論を語った。

そしてその目は、確かに来季を見据えていた。



2007年4月。

桜舞うなか、f0008530_2357578.jpg背番号13の第二幕がはじまる。
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  # by teralins | 2007-03-19 00:02 | 心の野球・03

今井洋企 ~「テラの灯は消さない」...孤高のエース、4年“完投”~

2003年4月上旬。
入学間もない今井が桃大1号館の教室を訪れた。

「ここ、テラーリンズですか?」


テラーリンズとしては、野球チーム結成4年目を迎えた春。
新入生の勧誘予定のなかったチームに突如あらわれた一人の03生が、ここから長くチームを支えることになる。

背番号18。
あおの青いグラブをみて、ある選手は「ダイスケ」と呼んだ。



 4月下旬には野球チームに合流し、5月には初登板。
当時、テラーリンズの先発には真弓・川島と2枚看板がいたが、そこに割って入るべく、数少ないチャンスで黙々と投げ続けた。


 5月に入って、大川・澤らがチーム入り。
それでも、03生では今井が唯一、試合では使われ続けた。

つまり、入学後2~3ヶ月のこの時点で、まわりの03生とはちがう立場におかれていたことになる。
その理由は、サッカーとの2足のわらじで、テラーリンズに溶け込んでいった今井の努力に他ならない。
ときには保科らのベテランにつき、時には寺門ら若手の兄貴分として、チーム内で潤滑油的な役割を果たした。


川島の卒業後は真弓に続く2番手投手として定着。
そして、真弓の卒業した3回生時には、ついにエース格としての地位を築きあげた。

投手として真弓らほどの華はなくとも、その独特の球で勝負を挑み続けた。


4年間で、勝利と敗戦の数は、そう変わらない。
勝った分だけ、負け試合にも登板していることになる。
しかし、それは長く第一線で投げ続けたことの証明でもある。


戦力層の決して厚くなかった時代。
打線の援護も守備での援護もないなかで投げ続けた結果、記録された多くの敗戦。

その敗戦が、今のチームの礎となっている。



 卒業記念試合の予定されていた2月17日。
無情な雨のなか、今井は高熱に襲われていた。

幻の卒業記念試合...
しかし、これは神様のほんのいたずらにすぎなかった。




 1週間後の2月24日。
急きょ予定を変更し、病み上がりのなか、1週間ごしの卒業記念試合に臨んだ。
快勝かと思われた試合は、終盤に3ランと暴投で同点に。

そして、迎えた9回裏。
無死2・3塁から小路の放った打球は、高々と左翼手の頭上をこえていった。



 4年前、何気なく立ち寄った教室。
その先に用意されていた丸4年に及ぶテラーリンズでの時間は、自らが新代表に指名した1回生のバットによって、幕がおろされた。


 もしあの時、今井が教室に来なければ...

「おそらく、テラーリンズの灯は消えている。」

当時、教室にいた、久賀田・林らは明言する。



 その右腕で、テラーリンズをしっかりと守った4年間。
今井は見事に“完投”を果たした。

消えることのなかったテラーリンズの灯は、再び背番号18が帰ってくるのを待っているにちがいない。
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  # by teralins | 2007-03-08 20:08 | 心の野球・03

岡本好平 ~揺るぎない信頼...守備職人が築いた聖域~

 テラーリンズの野球チームがスタートして7年。
その歴史の中で唯一、不動といわれたポジションがある。

それは、岡本の守るファースト。

2003年から4年間にわたり、岡本以外の選手がそこを定位置とすることはなかった。



 2003年5月、一回生だった大川や澤、池下らが見学に来た時には姿がなく、彼らに少し遅れての入団。
高校時代は投手だったが、肩の故障もあり、テラーリンズではファーストを選んだ。

ここに、“ファースト岡本”が誕生する。


チーム事情で、まれにサードや外野を守ることはあったものの、最初の2年間は、大半がファーストでの出場。
そして、2回生の途中からは、ファースト以外での出場はない。

さらには、ファーストでの84試合連続先発出場という記録も打ち立てた。


 これらの、栄光を支えたのは、神業といわれた守備。
ショートバウンドでの送球や、少々の悪送球も、華麗なグラブさばきで処理していった。



「普通の内野ゴロならば確実にアウトはとれる」

「ファーストへ投げれば、岡本が捕ってくれる。」
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そして、築き上げられた揺るぎない信頼。

その守備が数々のピンチを救いつづけた。


いつからか、テラーリンズのファーストは聖域となった。




今でも練習などでは、入団から2年間使った背番号25のTシャツを愛用する。

打撃では、チームでただ一人、カーボンバットを使い、シャープなバッティングをみせる。

監督代行として、計4試合の指揮をとり、全勝。



守備職人というイメージの影で、確かに、チームに大きな存在感を残した。





 実は、岡本には、もうひとつの定位置がある。

和泉市民球場の一塁側スタンドの最上段。

いつも、集合時間よりも早くに球場入りし、試合前に集中力を高めた場所だ。



背番号11が眺めつづけたグランド。
そして、そこに存在する聖域。



 2007年2月17日。

岡本が、最後の守備につく。
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  # by teralins | 2007-02-16 19:45 | 心の野球・03

池下貴彦 ~数々の苦難を越えて...仕事人、最後の完全燃焼~

 1月27日、和泉市民球場。
当初予定されていた試合がキャンセルとなり、練習が行われた。
そこに参加した池下。

2時間の練習を終えた彼は、花園での試合に向かうチームを一人、見送った。



 これがいつからか定着した、池下貴彦の参加スタイルだった。
バイトなどの都合で、1試合目のみや、2試合目からの出場はしばしば。
ときには、試合中にチームに合流しての途中出場も珍しくはない。


それでも、池下は球場へ向かう。

試合のキャンセルをうけての練習でも、例外ではなかった。




 2003年春に、岡本らとともにテラーリンズ入り。
当時「BETH」と書かれたTシャツを着ていたことから、保科から「ベッツ」と命名された。
しかし、まわりの03生に比べて、練習・試合への参加自体が少なく、存在感のうすいなかで、彼のテラ野球人生はすすむ。


ただ、当時の03生のなかでは唯一の外野手だったことも奏功し、出場した試合では、貴重な戦力として重宝された。
特に、外野でのその守備力はチーム一と言われ、バッテリーからも絶大なる信頼を得た。

ある選手は、「落下点に入る速さが郡を抜いている」と評した。
派手さはないものの、常に地味で堅実なプレーが光る。





 2005年春、鈴木・湊らの卒業に伴い、出場機会も増加しかけたものの、2人がチームに復帰したことから、中堅には定着しきれず。
また、入院などで、長期にわたってチームを離れることもあった。
そして、バイトとの両立に、就職活動...。


しかし、不運なことやさまざまな障壁はあったものの、ヒマをみつけては野球に時間をさいた仕事人。





1月20日のガチャピン戦後、池下は卒業前の参加が2月限りとなることを表明した。

しかし、こう続けた。

「バイトは1月まで。2月は思う存分できると思う。」と。



強豪との対戦を数多く控える2月。

f0008530_20113278.jpg池下にとって、野球に、テラーリンズに集中できる環境が整った。

「最後は完全燃焼」。


2月3日...仕事人の最後の舞台が、幕をあける。
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  # by teralins | 2007-02-01 20:12 | 心の野球・03

細川慎吾 ~目指すは勝利、野武士の全力野球~

f0008530_19251959.jpg 2007年1月20日、和泉市民球場でのガチャピン戦。
最後の打者が放った打球は、センター池下のグラブにおさまった。
細川慎吾が初勝利をつかんだ瞬間だった。




 細川がテラーリンズに加入したのは2005年5月。
和泉市民での、松原ルーキーズ戦にセンターで先発出場した。
試合は完封負けだったものの、その強肩はまわりをうならせた。

ただ外野手としてスタートしたものの、チーム事情から、その後は捕手としての出場が増加。
大川との「友情バッテリー」で抑えの捕手としてチームを支えた。

1年目の出場は7試合。


しかし2年目となった今季。
内野へのコンバートが彼の存在感を大きくさせる。
不動のサードだった澤がセカンドにまわったことなども追い風となり、内野手として地位を確固たるものにした。
サードをはじめ、大川不在時にはショートでも出場。

そして投手...。


彼のテラ野球人生はわずか1年で、外野→捕手→内野→投手とすすんでいった。
通算出場試合数は、30試合に満たない。
それでも、すべての場所で輝きをはなった。




 
 球場には、集合時間より早くに現れ、打席前には投手・捕手・審判に必ず一礼。
ベンチでは声を出し、内野ゴロでも全力疾走...。

 20日、最後となるかもしれない2試合も、これまでと変わることのない野球人・細川がそこにはいた。



 初勝利をあげたあとの、花園での第二試合。

それまで無安打だった細川の3回目となる打席。

万感の思いをこめたフルスイングが生んだ打球はレフトの頭上を高々と越えていった。


3塁ベースに到達した細川に、ベンチは最後の雄姿をみた。



「またいつか...」

そう言って、ひと区切りとなった2年間。


ふたたび、フルスイングを見られる日は...


能登の大砲・細川慎吾...その全力野球が色あせることはない。
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  # by teralins | 2007-01-24 19:10 | 心の野球・03

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