岡本好平 ~揺るぎない信頼...守備職人が築いた聖域~
テラーリンズの野球チームがスタートして7年。
その歴史の中で唯一、不動といわれたポジションがある。
それは、岡本の守るファースト。
2003年から4年間にわたり、岡本以外の選手がそこを定位置とすることはなかった。
2003年5月、一回生だった大川や澤、池下らが見学に来た時には姿がなく、彼らに少し遅れての入団。
高校時代は投手だったが、肩の故障もあり、テラーリンズではファーストを選んだ。
ここに、“ファースト岡本”が誕生する。
チーム事情で、まれにサードや外野を守ることはあったものの、最初の2年間は、大半がファーストでの出場。
そして、2回生の途中からは、ファースト以外での出場はない。
さらには、ファーストでの84試合連続先発出場という記録も打ち立てた。
これらの、栄光を支えたのは、神業といわれた守備。
ショートバウンドでの送球や、少々の悪送球も、華麗なグラブさばきで処理していった。
「普通の内野ゴロならば確実にアウトはとれる」
「ファーストへ投げれば、岡本が捕ってくれる。」
そして、築き上げられた揺るぎない信頼。
その守備が数々のピンチを救いつづけた。
いつからか、テラーリンズのファーストは聖域となった。
今でも練習などでは、入団から2年間使った背番号25のTシャツを愛用する。
打撃では、チームでただ一人、カーボンバットを使い、シャープなバッティングをみせる。
監督代行として、計4試合の指揮をとり、全勝。
守備職人というイメージの影で、確かに、チームに大きな存在感を残した。
実は、岡本には、もうひとつの定位置がある。
和泉市民球場の一塁側スタンドの最上段。
いつも、集合時間よりも早くに球場入りし、試合前に集中力を高めた場所だ。
背番号11が眺めつづけたグランド。
そして、そこに存在する聖域。
2007年2月17日。
岡本が、最後の守備につく。
その歴史の中で唯一、不動といわれたポジションがある。
それは、岡本の守るファースト。
2003年から4年間にわたり、岡本以外の選手がそこを定位置とすることはなかった。
2003年5月、一回生だった大川や澤、池下らが見学に来た時には姿がなく、彼らに少し遅れての入団。
高校時代は投手だったが、肩の故障もあり、テラーリンズではファーストを選んだ。
ここに、“ファースト岡本”が誕生する。
チーム事情で、まれにサードや外野を守ることはあったものの、最初の2年間は、大半がファーストでの出場。
そして、2回生の途中からは、ファースト以外での出場はない。
さらには、ファーストでの84試合連続先発出場という記録も打ち立てた。
これらの、栄光を支えたのは、神業といわれた守備。
ショートバウンドでの送球や、少々の悪送球も、華麗なグラブさばきで処理していった。
「普通の内野ゴロならば確実にアウトはとれる」
「ファーストへ投げれば、岡本が捕ってくれる。」
そして、築き上げられた揺るぎない信頼。
その守備が数々のピンチを救いつづけた。
いつからか、テラーリンズのファーストは聖域となった。
今でも練習などでは、入団から2年間使った背番号25のTシャツを愛用する。
打撃では、チームでただ一人、カーボンバットを使い、シャープなバッティングをみせる。
監督代行として、計4試合の指揮をとり、全勝。
守備職人というイメージの影で、確かに、チームに大きな存在感を残した。
実は、岡本には、もうひとつの定位置がある。
和泉市民球場の一塁側スタンドの最上段。
いつも、集合時間よりも早くに球場入りし、試合前に集中力を高めた場所だ。
背番号11が眺めつづけたグランド。
そして、そこに存在する聖域。
2007年2月17日。
岡本が、最後の守備につく。
by teralins | 2007-02-16 19:45 | 心の野球・03